その時歴史が動いた「引き裂かれた村」(2007/9/5放送)の補足情報

(本番組は、2015年現在、NHK番組アーカイブズ学術利用トライアルの対象番組となっております)。

 

2007年9月5日(水)にNHK総合で放送された「その時 歴史が動いた」第297回放送「引き裂かれた村~日米戦の舞台・フィリピン~」の番組作りで相談を受け、スタジオゲストとしてお招きに預かりました。いつもの「その時」とはちょっと違ったドキュメンタリー・タッチの内容で、登場人物のラビニャさんも、ロンキリオさんも、いまフィリピンのカブヤオで暮らしている生身の人間です。このような市井の庶民が主人公になった「その時」を作ったNHK大阪の皆さんに私は感銘を受けました。さて、以下は、この番組を観た皆さんへの補足情報です。

1.その時 1946年7月4日

これはフィリピン共和国がアメリカ主権下の植民地から独立した日付です。この日付は、1934年にアメリカ合衆国議会が定めたフィリピン独立法(タイディングス・マクダフィー法 原文はここ)の第10条の冒頭で定められていました。同法はフィリピンに自治政府を設立して、10年間の独立準備期間をおいたのちの7月4日にフィリピンを共和国として完全独立させるというものでした。その予定通りにフィリピンは独立したわけです。もちろんこの日付は、アメリカ合衆国の独立記念日からとられています。自分の国の独立記念日をよその国に押しつけるというのは、やっぱりかなり無神経だったと言わざるを得ません。

現在のフィリピン共和国の独立記念日は7月4日ではなく、1962年以来、6月12日です(7月4日は米比友好記念日とされています)。これは1898年6月12日にスペインからの独立革命を戦っていたフィリピンの革命政府大統領アギナルドによる独立宣言の日付に由来しています。

2.その時までの米比関係の歴史

くわしくは、年表をみていただく必要がありますが、アメリカは1898年にキューバ独立革命の混乱をめぐって(強制的な停戦のため、という名目で)スペインとの戦争に踏み切り、スペインのもうひとつの植民地フィリピンの独立革命と最初は協力しましたが、のちに米比戦争(1899~1902年平定宣言)で弾圧して、フィリピンにおける植民地支配を確立しました。この米比戦争は現代のイラク戦争と似た一方的な征服戦争であって、フィリピンの人々の抵抗も激しかったのですが、アメリカは勝利します。
この過程で、アメリカに忠誠を誓うことと引き替えに、革命を指導していた地主を中心とする植民地社会のエリートを優遇して自治付与も進める植民地政策を展開しました。その結果、フィリピンでは「敗者のアメリカニゼーション」が進みます。米比戦争の過去は忘れられ、地主エリートをはじめとして多くの人々が、アメリカのもたらした「新時代」に適応して、そのなかで成功をめざしました。

3.ラビニャさん

この番組の舞台になったのはラグナ州のカブヤオという町です。この番組の主人公(のひとり)ラビニャさんは、アメリカ植民地時代になっておじいさんのもっていた土地を奪われて、小作人に転落したと言っています。アメリカが進めた土地所有権の確定事業の被害者だった可能性が強いと思われます。1920年代後半から30年代にかけて、こうした小作農民や土地なし農民など、格差が拡大してゆくアメリカ植民地支配下のフィリピン社会の状況に不満を持つ人々を支持基盤とする政治社会運動が展開します。そのひとつが、ラビニャさんのお父さんが入ったサクダル(抗議、真理)党でした。サクダリスタ党の特徴は、反米主義と反地主支配を運動のスローガンに掲げていたことでした。
番組では貧困層のすべてがサクダル党を支持したような印象を与える表現がありましたが、実際には異端の少数派というイメージの方が現実に近いと思います。庶民も含めてアメリカ植民地下のフィリピン社会では、親米感情が非常に強かったからです。このほか中部ルソン地方の米作農村地帯などでは社会党・共産党系の小作農民運動も活発に展開しました。

4.サクダル蜂起 1935年5月2日

サクダル党は1934年の選挙で議員を3名当選させるほどの勢力になりましたが、議会主義の穏健派と急進派に分裂します。結党以来の指導者ベニグノ・ラモスは急進的な反米主義を主張して、日本に事実上亡命します。そのあと1935年5月2日にサクダル党急進派の人々が武装蜂起を起こして警察に弾圧されました。

カブヤオの町は蜂起の中心地のひとつで、ラビニャさんが語ったように多くの党員が犠牲になりました。ラビニャさんの兄弟や親戚も亡くなりました。

この1935年5月2日というのは、1に述べたフィリピン独立法に基づいて発足することになった自治政府フィリピン・コモンウェルスの憲法を承認する国民投票の直前に起こりました。この国民投票はフィリピン独立法に対するフィリピン人の承認を意味する投票でもありました。サクダル党の人々は、アメリカが与えた独立法のもとでのアメリカ保護下の独立は欺瞞であり真の独立への裏切りだと批判して、蜂起を起こしたわけです。

その背後には、ラビニャさん一家のように、アメリカ植民地時代に困窮化した人々の、アメリカ時代に富裕層としての生活を楽しんできた地主エリート層に対する憎しみもあり、また、1896年の独立革命の大義を守ろうというナショナリズムの意識もありました。大半の人々が米比戦争を忘れてしまったなかで、異端の少数派ではあったけれども、革命と戦争の記憶を保存している人たちがいました。サクダル蜂起はそうした人々による「記憶の反乱」と呼べる面もあるのではないかと私は思っています。

5.日本の占領政策、ガナップ、マカピリ

真珠湾攻撃後、破竹の勢いで進撃した日本軍がまもなくフィリピンを占領します。このときベニグノ・ラモスも日本軍とともにフィリピンに戻り、対日協力者としてガナップ党を結党します。ラビニャさんのお父さんもガナップ党に入ったものと思われます。

ところが日本軍はこのガナップ党を政治利用することを極力避けて、日本を熱心に支持する少数派であったにもかかわらず、彼らは何ら優遇されることがありませんでした。日本の占領政策もまた、地主エリートを温存することで統治の安定を図ったというのがそのひとつの背景として指摘できます。

結局、日本軍が本格的にこの人々を利用し始めたのは、戦争末期になってからで、1944年12月、日本軍はガナップ党員たちを中心にマカピリ(フィリピン愛国同志会)を発足させました。銃を取らせて戦わせるというよりも、日本軍の主な目的は、抗日ゲリラを密告させることだったようです。ラビニャさんのお父さんもそのようにして利用されました。日本軍の残虐行為の協力者とさせられていったのです。戦後、逆にマカピリの人々は激しい報復の対象となりました。ラビニャさんのお父さんも惨殺されました。マカピリに対する一般住民の憎悪と激しい報復は、先に放送された「証言記録 マニラ市街戦」(8月5日放送)でも生々しく証言されていたところです。それだけ、日本軍の残虐行為によるフィリピンの住民被害が深刻だったということなのです。

6.ロンキリオさん

この番組のもうひとりの主人公ロンキリオさんは、戦時中、米軍指揮下の抗日ゲリラいわゆるユサッフェUSAFFEに属して戦った人です。

ロンキリオさんが手に持って見せた賞状のような証明書がありました。よく見るとVFW(Veterans of Foreign Wars http://www.vfw.org/)が発行したもののようです。VFWはアメリカ最大のベテラン団体のひとつで、海外戦地での従軍経験がある退役軍人の集まりです。ロンキリオさんはフィリピンという場所で戦ったフィリピン人なのですが、ここでは海外で戦った米兵としての証明書を見せていることになります。それには訳があります。

イラク戦争の現在もそうですが、米軍は戦争に従軍した外国籍の兵士たちに市民権を与える特例を設けてきました。第二次世界大戦でも同様で、このとき、植民地のフィリピン人も同様の処遇を受ける権利が生じたのです。しかし戦争直後に大量のフィリピン人移民を恐れた米政府はこの措置をフィリピン人に(だけ)は適用しない措置を取りました。その後、帰化権をめぐる訴訟が1960年代から80年代まで続きましたが、結局、1990年に米議会が成立させた移民法のなかで、第二次世界大戦で米軍に従軍したフィリピン人に対する帰化特例があらためて認められたのです。すでに70歳代、80歳代のお年寄りになっていたフィリピン人ベテランが、このとき、2万人以上アメリカ市民権を取得して、その多くがアメリカに実際に移民しました。

ロンキリオさんもそのひとりで、その後、フィリピンに帰ってきました。

ロンキリオさんはフィリピン政府からフィリピン軍のベテランとしてわずかな軍人年金をもらっていますが、その一方で、アメリカで受け取っていた生活保護手当を25%減額のうえ、フィリピンでもドル建てでもらっています。これがロンキリオさんの大きな収入源になっています。ロンキリオさんのようにアメリカに帰化移民して、ふたたびフィリピンに戻ってきているひとたちが現在1万2000人ほどいると言われています。アメリカに暮らしている人々が6000人ほどだと言われています。

フィリピンにいてアメリカから生活保護手当をドル建てでもらうというのはにわかには信じがたい話でしょう。この問題については中野の科研報告でくわしく検討していますので、興味のある方はこちらをご覧下さい。
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/kaken.html

7.感想

この機会を通じて、番組作りというのは「大胆な省略」の芸術だという印象を強く持ちました。制作にあたっているNHKのスタッフの方々は非常によく勉強していて、細かい歴史的事実もぜんぶご存じなのですが、それを43分に凝縮して、視聴者にメッセージを伝えるためには、まさにそういう方法が必要なのだと思いました。フィリピン庶民の視点から日米戦争の意味を考えさせるというそのメッセージは十分に伝わったのではないかと思いますが、御覧の皆さんはどう思われたでしょうか。

以上、不十分ながらも多少の補足説明を試みましたが、ますます疑問だ、分からないということばかりかとも思います。よりくわしく知りたい方は、中野のウェッブサイトの情報や、中野の下記の既刊書・近刊書をどうぞご覧下さい。

『フィリピン独立問題史』龍渓書舎、1997年。
『歴史経験としてのアメリカ帝国』岩波書店、2007年。

また、マカピリのように日本軍占領下で対日協力したフィリピンの人々についてくわしく知りたい方は、サクダル運動研究の第一人者である寺見元恵さんの下記論文を御覧下さい。

寺見元恵「日本軍に夢をかけた人々」『日本占領下のフィリピン』岩波書店、1996年。

以上