東アジア近現代通史第8巻 / ベトナム戦争の時代

東アジア近現代通史第8巻 / ベトナム戦争の時代

(岩波書店紹介ページより)冷戦と脱植民地化が交錯する「アジア諸戦争の時代」は,アメリカ・サイゴン政権と[北]ベトナム・解放戦線が対決したベトナム戦争で,その最終局面を迎えた.1965年には日韓基本条約の締結,9.30事件によるスカルノ体制の崩壊,67年にはASEANが発足した.一方,文化大革命による政治的混乱と深刻化する中ソ対立を抱えた中国はアメリカとの和解を成立させる.75年,ベトナム戦争は終結したが,すでに,東アジアは構造的な変化を遂げつつあった.


中野は本巻通史編を書かせていただきました。


ベトナム戦争の時代
<梗概>
冷戦と脱植民地化が交錯する「アジア諸戦争の時代」は、アメリカ・サイゴン政権と[北]ベトナム・解放戦線が対決したベトナム戦争で、その最終局面を迎えた。それはまた、東アジア国際関係の構造転換の契機ともなった。ベトナム戦争を有利に進めたいアメリカの思惑とも絡み合いながら、一九六五年には日韓基本条約が結ばれ、東南アジアでは同年のインドネシア九・三〇事件で親中国路線のスカルノ体制が崩壊、一九六七年にはアセアンが発足した。当初は東南アジア反共諸国の協力機構として出発したアセアンは、「ベトナム後」の脱冷戦秩序の担い手へと成長してゆくことになる。
一九六八年の「テト」攻勢は、反戦運動に揺れるアメリカに大きな衝撃を与え、交渉による解決が探られ始める。一方、「大躍進」破綻の責任をめぐる権力闘争に揺れていた中国では、一九六六年から文化大革命が始まった。毛沢東主義と文革の高揚は学生運動や革命運動にグローバルな影響を与えてゆくが、中国の国内では政治的混乱が深まった。さらに、一九六九年、中ソ対立が武力衝突に発展すると、自国の安全保障に深刻な懸念を抱いた中国とベトナム戦争の泥沼に苦しむアメリカの思惑が重なり、一九七二年、ニクソン大統領訪中という「外交革命」が実現、東アジアの冷戦構造は大きく転換してゆく。
戦争の「ベトナム」化とサイゴン政権維持の両立をめざすアメリカは、一九七三年、パリ和平協定によりベトナムから撤退したが、ウォーターゲート事件・ニクソン辞任の政治的混乱のなかでベトナムへの関心は失われた。米中和解で中国に不信を募らせた[北]ベトナム・解放戦線は、自力による戦争の解決を急いで攻勢を強め、一九七五年、サイゴン政権は崩壊してベトナム戦争は終結した。しかしこのときまでに、東アジアは、戦いが始まったときには想像もつかない構造的な変化を遂げつつあったのである。