サンフランシスコGLBT博物館

サンフランシスコGLBT博物館

GLBT歴史博物館「私たちクィアの宏大な過去」
歴史学研究会『月報』2011年11月掲載

ひるがえってましたよね〜。壁紙に良いかも。

サンフランシスコGLBT博物館ツァー(Google+アルバム)
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2011年1月、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダーという、セクシュアリティにおけるマイノリティ(クィア)の歴史を語るGLBT歴史博物館(GLBT History Museum)が、サンフランシスコに開館した。場所は、ゲイの首都とも呼ばれ、ゲイ権利運動家ハーヴィー・ミルク(1930-78年。市長とともに殺害された)の活躍の舞台としても知られる街カストロ・ストリートである。全米でもGLBTに関する独立した博物館は初めてだという。
既存の建物の一角を改装した、展示スペースもわずか150平米に過ぎない小さな博物館だが、その内容はきわめて充実している。というのも、開館したばかりとはいえ、すでに25年の歴史をもち、専門家のアーキビストが運営するGLBT歴史協会アーカイブズが収集してきた史資料が展示の基礎となっているからだ。1985年に発足した同歴史協会は、サンフランシスコのゲイ・コミュニティ人口の半数にのぼる約2万人──その多くは博物館から1マイル以内に住むゲイ男性──の犠牲者を出したHIV/AIDSによって、コミュニティが消滅してその歴史も失われるのではないかという危機感を大きなバネとして、史資料の収集・保存運動を展開してきた。今日では、文書コレクション数600、収集雑誌タイトル3000、写真7万5000、Tシャツ2500、オーラル/ヒストリー収録数600にのぼる史資料を、博物館とは別の場所にあるアーカイブズで保存・公開している。メインの展示スペースにいたるギャラリーでは、フィルム・ビデオ、ポスター、リーフレットといった資料の形態別に、それらがいかにゲイ・コミュニティの歴史にとって価値をもつかについての丁寧な解説が加えられている。たいがいの博物館が、そのアーカイブズとしての「裏舞台」を、来館者の興味を惹かないと考えてあまり見せようとしないのに対して、この博物館は、その何とも真面目というか、本格的というか、まっとうな姿勢が印象的であった。
メイン展示は「私たちクィアの宏大な過去(Our Vast Queer Past)」と題してサンフランシスコGLBTコミュニティ史を語るもので、2011年末までの公開予定である。狭いスペースに設けられた二三の展示コーナーは、博物館の出発にあたっての様々の配慮を感じさせる内容である。すでに映画「ミルク」(2008年)の公開とアカデミー賞の複数受賞などにより、ミルクの存在やゲイ権利運動は、ヘテロセクシャルの主流社会にも知識として共有されつつある。そこでこの展示では、ひとことで言えば社会文化史的な展示に重点が置かれ、またミルク以外の人々への注目、ゲイとレズビアンの展示バランスに配慮している(カストロ・ストリートは圧倒的にゲイ男性のコミュニティであり、またゲイ権利運動が男性中心主義であることは常々批判されてきたところである)。
展示コーナーを思いつくままにあげれば、大手ネットワーク・テレビのミニシリーズで初めてレズビアンが主要人物として登場したドラマ「私たちの街の物語」の紹介、軍隊・平和運動とクィア、1930年代にゲイ男性のソーシャル・ネットワーキングを進めながら自らはヘテロ矯正の治療を受けたボイス・バークの個人文書、ゲイの社会生活にとって重要な場所としてのゲイ・バー、バスハウス、クィアと貧困、クィアと消費文化、レズビアン運動のパイオニアとして結婚式をあげたデル・マーティンとフィリス・ライオン、ボディ・ポリティクス(理想的な身体というイデオロギーを再考する)など、いずれも行き届いた解説とともに文書・写真・現物コレクションが展示される。かなり大きな展示スペースがジロウ・オオヌマという岩手県出身の日系移民に割かれているのも印象的であった。まったく市井に生きた無名の人物であるが、それは歴史に埋もれたGLBTの人々の生涯について分かる限りの記録を保存しようとする歴史協会の意図を感じさせるものだった。
恐らく来館者を最もびっくりさせるのは、ディルドをはじめとする性具コレクションの展示だろう。「大半の博物館は性具を重要なコレクションとは見なさない。しかしクィア・コミュニティにとってそれらは個人のエロティックな冒険を追求するためだけのものではなく、クィアのコミュニティとしての集合的な目的と文化的帰属を表現する重要な機会を与えるものなのだ(抄訳)」と、ここにも丁寧な解説が付されている。あくまでも真面目である。展示の最後になって、ようやくミルクの遺品と、ミルクが経営して選挙運動の本部にもなったカストロ・カメラの看板のコーナーに到達する。ゲイ権利運動にとって聖遺物とも言うべき看板はレプリカで、半分しか見つかっていないという本物はアーカイブズが保管しているという。博物館を出て、カストロ・ストリートの地下鉄駅に向かうと、その入口に立てられた、青空にひるがえる巨大なレインボー・フラッグが目に眩しかった。(2011年10月27日記)


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