人見潤介さん「戦争のない世の中に」共同通信インタビュー(2016年1月29日)

人見潤介さん「戦争のない世の中に」共同通信インタビュー(2016年1月29日)


2019年10月10日、人見潤介さんが逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。人見さんが遺した膨大なライフ・ヒストリーの記録を、ご家族のご協力のもと、立命館大学国際平和ミュージアムとともに、整理・保存してまいります。



元・第14軍軍宣伝班大尉の人見潤介さん(99歳、京都府在住)が、天皇皇后両陛下のフィリピン訪問について共同通信インタビューに答えています。お元気そうで何よりです。人見さんは、読売新聞社『昭和史の天皇』(1970年代)からすでに時代の証言者として貴重な役割を果たすとともに、私たちに平和の尊さを教えていただきました。拙著『東南アジア占領と日本人』の主人公のひとりでもあります。

人見さんのフィリピンにおける経験をくわしく知りたい方は・・・NHK証言アーカイブズ:人見潤介さん

作家で初代文化庁長官になった今日出海(1903-1984)は、第14軍軍宣伝班に配属されたときの経験を戦時中に出版された『比島従軍』(1944)にくわしく記していますが、そのなかに、人見さんについてのこんな記述があります。

私の班に人見中尉という若い将校がいて、温厚な人柄はよく頑固な地方の町長や村長を説得して、巧みに荒廃した部落を復興させる不思議な力をもっていた。また敗残兵との遭遇戦にも素人の宣伝班員を督励して、寡兵で戦い、首領を捕縛したり、やさしい顔立に似ず剛毅な武人の一面を色濃く持っている人で、軍司令官から個人感状を頂いた宣撫工作の専門家とでもいうべき将校がいたことは、宣撫班の地方工作に異常な成績を上げ得た所以であろう(今日出海『比島従軍』1944, 217頁)。

人見さんは1992年、私たち研究者のインタビューに答えて次のように語っています。(日本のフィリピン占領期に関する史料調査フォーラム編『インタビュー記録 日本のフィリピン占領』龍渓書舎、1994年、536-537頁)。

質問 報道宣伝という、軍のなかで非常に特殊な分野で仕事をされたわけですが、振り返っていかがですか。

人見 そうですね。非常に空虚に感じたのは、私どもが、日本とフィリピンとは友達だ、そして君たちと我々は友達なんだと、こういう呼びかけがはじまったわけですが、「この戦争はアメリカと日本の戦争で、あなたたちにはかかわりのないことだ、仲よくしようよ」といくら言ってみても、そこで戦争が現実に行われる限り、戦争は相手に我が意志に従うよう強制するために揮われる暴力である以上、その暴力を背景にした宣伝にはおのずから限界があるということを、大切なときに、ふと思い知らされることがあるのです。そんなときが、いちばん哀しかった。戦争はやっぱりすべきではないと、しみじみ痛感させられました。

しかし、私は非常に不思議に思うのは、マニラから復員船に乗って離れるとき、日本の復員兵のまったく100パーセント、1人残らず「こんなフィリピンに2度と来るものか」と、みんなフィリピンを恨みに恨んで離れたわけですね。ところが、長い年月がたつと、フィリピンで戦争をした兵隊がいちばんいまフィリピンのことを心配しているのです。この間も東京で会ったら、「人見さん、どうですか、あなた、フィリピンのことを気になりませんか、フィリピンの大統領選挙はどないなってまんねん」と。「なんやしらんけど、フィリピンのことが気になってから、フィリピンはもうちょっと早いことなんとか助けて、もうちょっと国民みんながよい生活ができるような国にしなければいかんじゃないですか、フィリピンだけどうして放ったらかしておくんですか」てなこと言って、もう2度とフィリピンなんかに来るものかとみんな思っていた兵隊が、1人残らず、このころ、みんなフィリピンを心配している日本人になっているんですね。これが非常に不思議だなと思いますね。それは私1人ではないのです。みんな非常に気にして、それでフィリピンがとにかく1日も早く、もっといい国になって欲しい。日本の企業だって、よその国に行かんと、フィリピンにもっと進出してくれないかん、なんとか一気に治安をよくして、企業が進出して、フィリピンの人々に、安定して収入を得られる場所ができたならば、治安も自然によくなるだろうし、これはなんとか助けることはできないか、とみんな真剣に心配しているのは、みんなフィリピンで昔、死ぬか生きるかの戦争をした、そういう連中なんですね。不思議だなぁ・・・・・・とつくづく思います。

そしていま気づくことは、恨みに恨んでマニラを離れたあの思いは、愚かな戦争に対する恨みであって、フィリピンの人たちに対するものではなかったということなんです。その反対に、不幸な戦争という情況のなかではあったけれど、その間、接した比島の人たちの明るさ、人なつっこさなどが懐かしく思いだされ、そうした人たちにご迷惑をおかけした、償いの思いも含めて、比島の速やかな復興を祈らずにはいられないような思いに駆られるのです。戦争は諸悪の根源です。実に哀しいものです。2度としてはなりません。いらん話ばっかりしてすいません[笑]。

質問 いえいえ、本当に貴重な話をありがとうございました。