アーリントン国立墓地とフィリピン(5)米陸軍人たちとフィリピン

アーリントン国立墓地とフィリピン(5)米陸軍人たちとフィリピン

John J. Pershing (1860-1948), Section 34, Leonard Wood (1860-1927), Section 21, George C. Marshall (1880-1959), Section 7 and Jonathan Wainwright (1883-1953), Section 1.

「平定」後も長く「反乱」が続いたがゆえに、フィリピンは米軍とくに陸軍にとって――1890年に終結した「インディアン戦争」にかわる――重要な赴任先・訓練場であり続けます。その歴史もアーリントンには刻まれています。アーリントン国立墓地とフィリピン・マップ(ゆかりのアメリカ人たちの墓碑を赤いピンで、フィリピーノたちの墓碑を青いピンで表示しています)。

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1024px-John_Pershing34区画に眠るジョン・パーシング(Wikipedia)は、第一次世界大戦のヨーロッパ派遣軍司令官として尊敬を集め、アメリカ史上ジョージ・ワシントン以外には彼だけという元帥の称号を与えられた人物です。米西戦争の勃発当時、パーシングは38歳の老中尉に過ぎませんでした。彼が頭角を現すきっかけとなったのは、1903年、ミンダナオのラナオにおける「モロ平定」作戦の指揮に成功したことです。その後、大尉から准将へ「ごぼう抜き」の出世を遂げたパーシングは、第1次世界大戦が始まるほんの数年前(1912年)まで、繰り返しフィリピンに赴任して「モロ平定」作戦を指揮していたのです[i]LeonardWood

21区画に眠るレオナード・ウッド(Wikipedia)は、軍医出身ながら、ヘンリー・ロートンの副官としてジェロニモ追跡隊に参加し、米西戦争では義勇兵部隊ラフ・ライダーズをセオドア・ローズベルトとともに率いたことで勇名を馳せた軍人です。キューバ軍政総督をへて、1902年にフィリピンに赴任したウッドは、1903年からモロ地区軍政総督を兼務して「平定」作戦を指揮した。ウッド指揮下の米軍は、1906年3月、ホロ島の討伐作戦で、投降を拒否してダホ山旧火口の窪地に籠城した現地住民を近代火器で一斉に攻撃して、女性・子供を含めて600名(1000名との説もある)を虐殺しました。マーク・トウェインに再び怒りの筆をとらせたこの事件も[ii]、「平定」作戦にともなうやむを得ない犠牲として容認され、軍法会議で裁かれることはありませんでした。1921年ウッドはフィリピン総督に就任して、民主党政権時代の自治化政策の「行き過ぎ」を修正しようとしてケソンと厳しく対立し、病を得てアメリカに帰国、1927年、手術中に死亡することになります。

General_George_C._Marshall,_official_military_photo,_1946.JPEG第二次世界大戦期の陸軍参謀総長で、戦後、国務長官としてヨーロッパ復興計画(マーシャル・プラン)の主唱者となったジョージ・マーシャル(7区画 Wikipedia)も、1902年、最初の赴任先はフィリピンでした。駐屯先のミンドロ島カラパンではコレラが蔓延して、人口1200人中500人近くが死亡したとマーシャルは1950年の私信で回顧しています。米比戦争の悲惨を語る貴重な証言のひとつです[iii]

JonathanWainwright194509Missouri一九四五年九月、ミズーリ号艦上で行われた日本の降伏文書調印式に収容所生活で痩せ細った姿で立ち会い(写真、マッカーサー後方左側の人物)、日米両国の戦争の記憶に刻まれたジョナサン・ウェインライト中将(一区画 Wikipedia)は、日本軍のフィリピン侵攻後、オーストラリアに脱出したダグラス・マッカーサーの後を引き受けてバタアン・コレヒドール戦を指揮、万策尽きて日本軍に降伏後、戦争捕虜となって満州の捕虜収容所に送られた人物です。彼も軍人一家で、父は1902年11月に赴任先のマニラで病死しており、彼自身もその軍歴の出発点で1908年から10年にかけてミンダナオの「モロ平定」作戦に従軍しました。

このように、アーリントンに眠る米軍人たちの歩みは、米比戦争が、米軍の一九世紀と二〇世紀を蝶番のようにつなぐ経験であり、フィリピンが現代米軍の揺籃の地だったことを示しているのです。

この後、くわしくは、『歴史経験としてのアメリカ帝国』をご覧いただければ幸いです。4000025376

[i] Donald Smythe. Pershing, General of the Armies. Bloomington: Indiana University Press, 1986.

[ii] Mark Twain, “Comments on the Killing of 600 Moros.” in Autobiography of Mark Twain Volume 2, ed. Albert Bigelow Paine (New York, NY: Harper Brothers, 1924).

[iii] Larry I. Brand, ed. The Papers of George Catlett Marshall, Vol. 1: “The Soldierly Spirit” December 1880-June 1939. Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1981, 24.