清水知久・高橋章・富田虎男『アメリカ史研究入門』

『歴史評論』2020年4月号の「特集:西洋近現代史の「新しい古典」を読む」に寄稿させていただきました。1974年初版の清水知久・高橋章・富田虎男『アメリカ史研究入門』(山川出版社)をめぐって、当時のアメリカ史研究をめぐる時代状況を検討しました。

歴史評論  No.823 (2018年11 月号)

歴史評論 No.823 (2018年11 月号)

特集/ 民衆法廷運動の軌跡と現在──「ラッセル法廷」を中心に ラッセル法廷から半世紀 中野 聡

『人民の歴史学』217号(2018年9月)

『人民の歴史学』217号(2018年9月)

特集:「平和」の内実を問う―権力の「平和」と地域の「平和」―〈東京歴史科学研究会第52回大会委員会企画〉・中世在地領主による「平和」の創成・維持と地域社会   田中大喜・戦後地域社会の軍事化をめぐる協力と抵抗   森脇孝広・コメント―安穏・惣無事・コトナカレと分断の比較史を展望する― 中野聡・討論要旨   長谷川達朗・水林純

Japan's Colonial Moment in Southeast Asia 1942-1945: The Occupiers' Experience

Japan’s Colonial Moment in Southeast Asia 1942-1945: The Occupiers’ Experience

Go to Sample Chapter (Introduction) thru. Researchgate. The first-ever attempt to paint a full-scale portrait of the Japanese Occupation of Southeast Asia during the Asia-Pacific War (1942–5). This book draws on the huge body of available narrative—military documents, bureaucratic records…

現代思想2018年6月号臨時増刊号総特集@明治維新の光と影

現代思想2018年6月号臨時増刊号総特集@明治維新の光と影

「アジア主義:記憶と経験」を寄稿させていただきました。 「はじめに」 明治維新(一八六八年)から一五〇年。そのちょうど折り返し点にあたる一九四三年は「大東亜戦争」(一九四一〜四五年)と日本が名づけた戦争の半ばにあって、「南方」のほぼ全域──それは今日の東南アジア一〇ヶ国の領域とほぼ一致する──が日本の軍事支配下におかれていた。日本とその植民地、中国における占領・支配地域(満州国・汪兆銘政権)と「南方」をあわせて「大東亜共栄圏」と呼ぶ瞬間が、そこにはあった。しかしまもなく日本は連合国に無条件降伏し、一五〇年間の前半に対する否定から出発する後半としての戦後日本が始まっていく。このように一五〇年の前半から後半に向かう分水嶺の位置にある「大東亜戦争」・「大東亜共栄圏」という経験の意味を今日再考するとき、私たちは何を言い得るだろうか。 ここで考えてみたいのは、一五〇年前半における日本の膨張主義をめぐって日本(人)が語ってきた「アジア主義」──そして一五〇年後半におけるその記憶──である(小論では日本[人]が発話してきたアジア主義にはカッコを付けて表記する)。以下まず敗戦後いったん忘れられた「アジア主義」の記憶を回復させる契機となった竹内好の論考「日本のアジア主義」を手がかりにして、「アジア主義」における他者の不在という問題を考える。さらに「アジア主義」が日本の膨張主義の極点でアジアの他者と出遭った東南アジア占領という経験の意味を考えてみたい。(Amazon.co.jp購入ページへ)

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