現代思想2018年6月号臨時増刊号総特集@明治維新の光と影

「アジア主義:記憶と経験」を寄稿させていただきました。

「はじめに」

明治維新(一八六八年)から一五〇年。そのちょうど折り返し点にあたる一九四三年は「大東亜戦争」(一九四一〜四五年)と日本が名づけた戦争の半ばにあって、「南方」のほぼ全域──それは今日の東南アジア一〇ヶ国の領域とほぼ一致する──が日本の軍事支配下におかれていた。日本とその植民地、中国における占領・支配地域(満州国・汪兆銘政権)と「南方」をあわせて「大東亜共栄圏」と呼ぶ瞬間が、そこにはあった。しかしまもなく日本は連合国に無条件降伏し、一五〇年間の前半に対する否定から出発する後半としての戦後日本が始まっていく。このように一五〇年の前半から後半に向かう分水嶺の位置にある「大東亜戦争」・「大東亜共栄圏」という経験の意味を今日再考するとき、私たちは何を言い得るだろうか。

ここで考えてみたいのは、一五〇年前半における日本の膨張主義をめぐって日本(人)が語ってきた「アジア主義」──そして一五〇年後半におけるその記憶──である(小論では日本[人]が発話してきたアジア主義にはカッコを付けて表記する)。以下まず敗戦後いったん忘れられた「アジア主義」の記憶を回復させる契機となった竹内好の論考「日本のアジア主義」を手がかりにして、「アジア主義」における他者の不在という問題を考える。さらに「アジア主義」が日本の膨張主義の極点でアジアの他者と出遭った東南アジア占領という経験の意味を考えてみたい。(Amazon.co.jp購入ページへ