『人民の歴史学』217号(2018年9月)

『人民の歴史学』217号(2018年9月)

特集:「平和」の内実を問う―権力の「平和」と地域の「平和」―
〈東京歴史科学研究会第52回大会委員会企画〉
・中世在地領主による「平和」の創成・維持と地域社会   田中大喜
・戦後地域社会の軍事化をめぐる協力と抵抗   森脇孝広
・コメント―安穏・惣無事・コトナカレと分断の比較史を展望する― 中野聡
・討論要旨   長谷川達朗・水林純

(中野コメント・抜粋)

 二〇一七年(第五一回)大会に引き続き「『平和』の内実を問う」ことを主題とした二〇一八年(第五二回)大会委員会企画は、「『権力』の平和と『地域』の平和」をめぐって田中大喜氏が「中世在地領主による『平和』の創成・維持と地域社会」、森脇孝広氏が「戦後地域社会の軍事化をめぐる協力と抵抗」と題した報告を行った。このように「平和」をキーワードとして日本中世史と現代史の報告を並置した企画に、評者は言うまでもなく全くの門外漢として臨んだので、以下、自由に感想を述べてみたい。なお委員会はとくに意識していなかったようであるが、本企画は、一九八五・八六の両年にわたる歴史学研究会大会の全体会「民衆の『平和』と権力の『平和』」を評者に想起させた。「平和」をめぐるアクチュアルな危機意識が企画を動機づけていることが共通しているだけでなく、一方に日本中世史・近世史を、他方に異分野(この場合は外国史)を配置した構成も似通っている。また『歴史学研究』本誌に掲載された大会報告・報告批判からは、ちょうどこの頃、日本の中世社会における自力救済の実態と、中世後期から近世に向けたその否定の過程における「豊臣平和令」あるいは「惣無事令」の問題が盛んに議論されていたこと、またその議論が他分野の研究者にも大きな刺激を与えていたことが読み取れる。これら三〇年あまり前の議論は今回の両報告とその意義を捉えるうえでも興味深い視点を提供するので、以下の評では必要に応じてこの点に若干触れてみたい。

(中略)

砂川闘争で争われた土地は現在もなお、グーグルマップのサテライト・イメージで見下ろすと、周辺の土地利用との差異がくっきりと浮かび上がる。そこは「平和の礎」が建つ砂川闘争の勝利を記憶する場であると同時に、郊外宅地と陸上自衛隊立川駐屯地および旧米軍立川基地からの再開発区域にはさまれて、コトナカレ主義・日本がその矛盾を囲い込んだようにも見える、両義性を内蔵する空間である。そこから、渡良瀬貯水池に残る「遺跡谷中村」、あるいは原発事故による「この先 帰還困難区域につき通行止め」の看板の群れへと評者の連想は及ぶ。さらに砂川闘争の勝利が沖縄の基地問題へと結びついた歴史的展開をふまえるとき、辺野古の美しい珊瑚礁に覆い被さる「臨時制限区域」と砂川という、コトナカレ主義がその矛盾を囲い込んだふたつの空間のあいだの捻れと連帯の両義性を孕んだ結びつきについて、評者は考え込まざるを得ないのである。以上、時代を超えたふたつの報告を通じて「平和」の内実を問いかけた企画に、このようにインスパイアされた聴衆のひとりとして、刺激的な企画を設定した委員会に敬意を表したい。