歴史評論 No.823 (2018年11 月号)
特集/ 民衆法廷運動の軌跡と現在──「ラッセル法廷」を中心に
ラッセル法廷から半世紀 中野 聡
ラッセル法廷と国際反戦運動の胎動 藤本博
東京裁判の個人責任論 戸谷由麻
民衆法廷を継承する精神 前田 朗
ニュルンベルク裁判とラッセル法廷 芝 健介
(抜粋)
本特集企画の基礎となったのは、シンポジウム「ラッセル法廷50周年—戦犯裁判・戦犯民衆法廷の歴史的文脈とその遺産」(2017年12月2日、於一橋講堂)である。(中略)
同シンポジウムでの議論をふまえて企画された本特集「民衆法廷運動の軌跡と現在—「ラッセル法廷」を中心に」は、日本の反戦市民運動(戦犯調査日本委員会)が果たした積極的な役割に注目する藤本博の論文をひとつの結節点として、ラッセル法廷をニュルンベルグ裁判「後史」として捉えたときに何が浮かび上がるかを問う芝健介の論文、ラッセル法廷を起点として展開してきたいわゆる「民衆法廷運動」の軌跡を論じる前田朗の論文、そして東京裁判から生成・展開した法理の歴史的意義に注目する立場から重光葵のケースに着目して「個人責任論」を考察する戸谷由麻の論文から構成されている。以下、各論文を結ぶ視点を示して読者の参考に供したい。(中略)
大規模暴力に対する国際的正義の追求をめぐる二〇・二一世紀の法現象を、巨視的に、また楽観的にふり返るならば、「犯された不正」に対して「裁き」という強制力を伴う国際的な人道規範が、まったく不十分とはいえ、曲がりなりにも拡がりを見せてきたという点では、無差別戦争観が支配した一九世紀国際法の時代と較べれば世界は「進歩」したと言い得るだろう。あるいは、たとえば中世ヨーロッパにおいて領主・農民の私戦(フェーデ)慣行の抑制をめぐり一〇世紀末に始まった「神の平和」や「国の平和」運動が、公権的な秩序形成を通じて一二、三世紀に始まるヨーロッパの近世化と深く関わっていく法現象のような 、長期間にわたる大きな変化と試行錯誤を、いま私たちは国際人道秩序をめぐって経験しつつあるのだとさえ言えるかもしれない。(後略)
(誤植訂正)
1o頁上段10行目 (誤)一九六七年 → (正)一九六五年
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