日テレnews every.戦後70年 「いま、わたしがいる理由(わけ)」渡部絵美さんとフィリピン(2015.12.21)
私が取材・番組制作に協力しました、プロフィギュア・スケーター渡部絵美さんの父・渡部純一さん(昭17学、2005年没)と妻・リディアさんの戦時下ネグロス島での恋愛と結婚が下記ウェブサイトで紹介されています。
日本テレビ news every.戦後70年企画
「いま、わたしがいる理由(わけ)〜家族が見た戦争の記憶〜」
2015年12月21日オンエア
日本兵とフィリピン人女性 国境を越えた恋
●渡部絵美(プロフィギュアスケーター)×母・渡部リディア
http://www.ntv.co.jp/every/70th/2015/12/post-22.html
なお、渡部純一氏は、『如水会報』764号(1993年12月号)の「橋畔随想」に寄稿した「私の太平洋戦争─戦場での結婚─」でそのときの経験について回想しています。大変に興味深い内容です。
さらにこれは一橋大学学園史資料室の大場高志さんに調べていただいたことですが、渡部純一さんは昭和12年度予科入学、昭和15年学部入学の6組でクラス会名は「鵬鯤会」、ゼミは上田辰之助ゼミで、なんと卒業論文のタイトルは「米国の対比島経済立法史」ということでした。
驚いて私は図書館に保存されている渡部純一さんの卒論を読んでみました。すると、その序文には「比島の真の姿を知っている日本人が果たして何人いたかは疑問」で、「幸い私は幼時より数回比島に渡り民族としての比島民及び経済状態を」良く知る立場にあったと書かれていました。さらに調べると、渡部純一さんの父は渡部勝頼氏であり、戦前の有力な日比貿易商であっただけでなく、戦前の『比律賓情報』の座談会でも開戦直前にフィリピンの経済情勢について慧眼のコメントをしていることが分かりました(1941年10月28日)。
渡部純一氏がネグロス島という砂糖産業を背景とした最も親米色の強い土地で海軍短期現役将校(主計大尉)として人々の信頼を得られた背景には、フィリピンに対する深い理解があり、それがリディアさんとの結婚にもつながったのだと私は思います。卒論には次のような、当時としてはなかなか言いにくい(米国を評価する)見解が示されています。そしてこのような卒論を提出しているところにも、戦時下における一橋学園リベラリズムの面目躍如の感があると思った次第です。
──此所に言を大にして言わなければならない事は、比律賓群島は他の南方諸国と異なり極めて高度の文化を有している事である。多くの日本人が考えているような野蛮な国ではないのである。同じ南洋にありながら何故比島のみがかかる高度文化を持つようになったかという事は一つにかかって米国の対比島政策にあるのである──
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