マニラ戦の実像と記憶(1)

      少々事情もあり、マニラ戦(1945年2月-3月)の実像と記憶についてこの場を借りて紹介し、また考えていきたいと思います。 (写真 マニラのイントラムロスにあるメモラーレ・マニラ1945祈念碑)     日本軍の残虐行為と米軍の砲爆撃で、第2次世界大戦において「ワルシャワに次ぐ破壊」と言われるマニラ戦は、日米間で戦われた最大規模の市街戦でした。10万人の犠牲を出したマニラ戦の記憶が風化してゆくことに、往時を知るマニラ市民の多くは釈然としない思いを抱いています。50周年のときに祈念碑を建立した祈念団体メモラーレ・マニラ1945は今でも活動を続けています。今でもマニラの人々はなぜマニラがこのように破壊され、無慈悲な残虐行為が行われたのか、その説明を求め続けています。 Sack of Manila (米バタアン戦ベテランによるマニラ戦残虐行為についてのWeb記事) 米陸軍戦史HP ルソン解放 1944-1945祈念団体メモラーレ・マニラの動き Inquirer 2005/2/13 Remembering Manila 1945 Manila Times 2005/2/6 Philippines Daily Inquirer 関連記事(残虐行為の被害の実態など) Escodas, Vicente Lim beheaded (Feb 12, 2005) Massacre of Agustinians, San Juan de Dios staff (Feb…

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