Civil RIghts Movies / 42 - The Jackie Robinson Story -

Civil RIghts Movies / 42 – The Jackie Robinson Story –

42 (2013/4/12)

ジャッキー・ロビンソン あえてやり返さなかった「戦う男」としての側面を描く
42jackierobinsonstory.jpg

奴隷制廃止宣言(1863年)100周年でもあった1963年の8月28日に行われた「March on Washington ワシントン大行進」でマーチン・ルーサー・キング牧師がワシントンDCのリンカン・メモリアル前で行った「私には夢がある」演説は、アメリカ史上で言えばリンカンのゲティスバーグ「人民の人民による人民のための政治」演説と双璧、世界中の英語の教科書にも載っています。

2013年8月はその50周年ということで、ハリウッド映画でも──アメリカ黒人の差別の苦しみ・苦難の歩み・地位向上の道のり・現在も続く問題を扱った──「公民権もの映画(civil rights movies)」が次々と公開されました。基本的には興行成績を追う娯楽ビジネスであるハリウッド映画ですが、「公民権もの」というジャンルが立派に存在しているのです。

すぐに思いつくのが、スピルバーグで言えば「カラー・パープル」や「アミスタッド」に最近作「リンカン」、名優デンゼル・ワシントンの出世作「グローリー」や「マルコムX」などが思いつきます。数えきれません。それは、「公民権もの」に限らずどんな娯楽映画にも政治社会問題・時事問題を織り込むハリウッド映画の伝統の反映でもあるし、「公民権もの」が映画のドラマティックな題材として打ってつけだということも意味していると思います。

ワシントン大行進50周年を意識して作られたであろう今年の作品のなかで目立つのが、もうすぐ日本でも公開される『42(2013年11月日本公開:42ー世界を変えた男ー)』、超不作と言われた今年の夏の映画シーズンで他の娯楽映画を押さえてボックス・オフィスで連続3週第1位になった『バトラー(2014年春公開予定)』の2作です。秋口には、教養ある自由黒人(奴隷の身分にはなかった黒人)でありながらとらわれて南部で奴隷の生活を送らされた男の実話を描いた『12Years a Slave(日本公開未定)』が公開になります。いずれもアカデミー賞狙いの作品揃いでしょう。いずれも実話(42)やモデル(バトラー、12 Years a Slave)のある話です。それだけに、史実との関係やズレ、強調しているところ、描かれなかった点などから映画の狙いやオーディエンスに対する意識が透けて見えてくるところがあります。その辺について、映画の感想もあわせて一言紹介しておきたいと思います。

『42』は1947年に黒人選手はじめての大リーガーとしてデビューしたジャッキー・ロビンソンを描いた映画、そのひとことに尽きます。監督は『LAコンフィデンシャル』でアカデミー脚本賞を受賞したことがある、ブライアン・ヘルゲランド。話題は、ジャッキー・ロビンソンをブルックリン・ドジャーズに登用したGMのブランチ・リッキーBranch Rickeyをハリソン・フォードが特殊メイクの老け役(もう本人も老けているわけですが・・・)で演じたことで、ブレずに大リーグへの黒人選手登用を進めた頑固で野太い老GM役を好演しました。オスカー助演男優賞狙いといったところでしょう。ハリウッド映画が野球を描くときはどこかいつもノスタルジアを感じさせるなとも思いました(まるでもう野球がなくなってしまったかのように!)。ほとんどが陽光降りそそぐデイ・ゲームとして描かれているのもそんな演出かもしれません(ドジャーズは1938年にナイター施設を導入。1940年代末にはナイト・ゲームが主流になっていたはず)。

この映画を貫くテーマは、ロビンソンの自伝にもあらわれる次のやりとりです。ブランチ・リッキーとロビンソンが初対面のときに交わしたと言われる会話です。

試合に出れば当然に予想される白人プレイヤーたちの差別や暴言にぶつかったらどうすると問われたロビンソンが’Mr. Rickey, do you want a ballplayer who’s afraid to fight back?’「リッキーさん、あなたは(白人を)恐れてやり返さない(黒人)選手を求めているんですか?」と聞き返すと、リッキーはこう怒鳴り返した。’I want a ballplayer with guts enough not to fight back!’「ちがう、俺が欲しいのはやり返さないだけのガッツがある選手なんだ!」
http://www.eyewitnesstohistory.com/robinson.htm

ジャッキー・ロビンソンというと初の黒人大リーガーだった一面、「戦わない」従順で保守的な黒人──白人が受け入れやすいタイプ──だったというイメージがあります。ちょっと考えればそれが最初の黒人大リーガーゆえの演技だったと分かるとしても、現代アメリカ黒人から見たヒーローとしてはちょっと分の悪いところがあります。

映画でも語られるように、ロビンソンは第2次世界大戦中の軍勤務中に──のちのバス・ボイコット運動のように──白人にバスで席を譲るのを拒否したいざこざをきっかけとした軍律違反で軍法会議にかけられ、それが原因で実戦に配備されなかったというエピソードがある「戦う男」でした。映画は、もともと差別を許さない「戦う男」だったロビンソンが、この時代の条件のなかで、「戦わない忍耐」と実力を通じて栄光をつかんだというストーリーとして描きました。映画で語られるエピソードの多くは事実に基づいており、映画の見せ場ともなっている、ドジャーズ・フィリーズ戦でロビンソンを徹底的に挑発して結果的にはそれまでロビンソンと距離感のあったドジャーズの白人選手とロビンソンが一致団結するきっかけを作る敵役の監督ベン・チャップマンなどは「そっくりさん」の好演となっています。

42、映画と史実についてのQ&A

このようなストーリ・テリング自体は間違っていない──と思いますが、歴史研究者のうがった目から見ると、ずいぶん話を削ぎ落としているなというのが率直な感想です。1947年のワールド・シリーズ進出で物語は終わり(優勝はできませんでした)というのもそうですが、このあとロビンソンは、その名声とキャリアを守らなければならないがゆえに、保守的な優等生としての演技を続けていきます。そして、ちょうど彼が大リーガーになった時期にアメリカ社会で吹き荒れた反共主義ヒステリーのなかで、高名な歌手であり公民権運動の闘士でもあったポール・ロブソンの政府批判に関して非米活動委員会に招致されて、ロブソンを攻撃・批判する発言をしました。この発言は、白人への黒人の屈従を象徴する出来事としてアメリカ黒人史の痛々しい記憶となっています。そこまでして保守的な立場をとり続けたロビンソンも、1964年の大統領選挙で共和党が超保守派のバリー・ゴールドウォーター上院議員を指名したことをきっかけに共和党を去ります。このとき「[I had] a better understanding of how it must have felt to be a Jew in Hitler’s Germany. ヒトラー支配下のユダヤ人の気持ちが私にも分かったよ」と発言しています(/Wiki)。このようなロビンソンの歩みや苦悩が描かれれば、「戦わないガッツ」がより陰影深く描かれたことでしょう。

ただそれも、ああ、この映画は親子連れ、それも小学生を連れた親がたくさん見るのをイメージして作っているなと思えば納得というところかもしれません。冷戦・反共ヒステリー・1964年大統領選挙などの話が入れば子供たちは混乱してしまいます。そこで史実を曲げることはしないが1947年ワールド・シリーズ進出でばっさりと話を終わらせるという選択になったのだと思います。総じて好評のなかで、こうしたところから描き方が甘いという批判もあるようです。

『42』で黒人とスポーツの関係に興味が沸いた方は、川島浩平さん著『人種とスポーツ』(中公新書)をどうぞ。また、ロビンソンとはまったく対照的に、1960年ローマ五輪で優勝して一躍英雄となりながら、黒人イスラム教Nation of Islamに入信して名前をカシアス・クレイからイスラム名に改め、キャリアの全盛期にベトナム戦争に反対して良心的兵役拒否をして最高裁で戦った(1972年に勝訴)ボクシング・ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリMuhammad Aliの半生を描いたドキュメンタリー「Trials of Muhomad Ali モハメド・アリの試練と裁判」も話題になっています。こちらも日本でいずれ紹介されることを期待しています。