東アジア近現代通史第2巻/日露戦争と韓国併合
(岩波書店紹介ページより)日露戦争における日本の勝利は「アジアの勝利」としてアジア諸民族に衝撃を与えたが,他ならぬ日本の韓国併合によって,東アジアの帝国主義分割は完成された.列強の膨張政策に加えアメリカも東アジア国際政治の舞台に参入し,既存の秩序や覇権,社会意識が大きく変容した.世紀転換期の激動に新たな光をあてる.
久しぶりの本業復帰?で、下記タイトルの論文を書かせていただきました。編集委員も務めさせていただいております。
「太平洋植民地の獲得とアメリカの『アジアへの道』」
はじめに より
1945年2月23日、硫黄島のスリバチ山に星条旗を打ち立てた米海兵隊員6名の群像写真は、遠方の地で戦う米兵の献身を讃える愛国的な象徴として知られている。6名のうち生還したのは3名に過ぎなかった。そのひとりを父にもち、硫黄島の激闘と群像写真をめぐる真実を描いたピューリッツァー賞受賞作『父親たちの星条旗』(Bradley & Powers 2000)の著者ブラッドリーは、近著『インペリアル・クルーズ』で、注目すべきことに、1905年のタフト・桂「協定」に焦点をあて、セオドア・ローズヴェルトTheodore Rooseveltのアジア外交を激しく批判している。もしもローズヴェルトが──アメリカ合衆国(以下、アメリカ)のフィリピン支配と日本の韓国保護国化支配を相互に認める──韓国を切り捨てた日本贔屓のアジア外交をしなければ、日本の膨脹主義にも歯止めがかかり、「私の父も第2次世界大戦の太平洋での戦いで傷つかないですんだかもしれない」というのが、著者の言い分である(Bradley 2009, 331)。歴史解釈としては飛躍があるが、19/20世紀転換期にアメリカが東アジア国際政治の舞台に参入したことの意味の重さを考えさせる問いである。
本章は、本講座でアメリカを主に扱う最初の章となる。そこで第1節では、やや時代を遡行してアメリカの「アジアへの道」としての太平洋世界への進出をたどり、第2節ではその延長線上にハワイとフィリピンの併合・征服戦争の歴史を捉える。第3節では──ブラッドリーの問いにかかわって──世紀転換期に東アジア国際政治に参入したアメリカ外交を、フィリピン領有との関係でどう捉えるかという問題を考えたい。
(岩波書店紹介ページへのリンク)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/01/1/0112820.html
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