マニラ市街戦──その真実と記憶──(Web版)

マニラ市街戦──その真実と記憶──(Web版)

2016年1月26日、天皇陛下はフィリピン共和国への親善訪問に出発される際の「おことば」で、「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」と述べられました。マニラ市街戦とはなんだったのでしょうか?以下、その概要とマニラ戦をめぐる記憶の問題について、2007年前後に書いたある原稿をもとに、Web公開版を作成しましたのでご覧下さい。

天皇陛下フィリピンへの出発のおことばでマニラ市街戦での「膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民」の犠牲に言及(2016年1月26日)

天皇陛下フィリピンへの出発のおことばでマニラ市街戦での「膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民」の犠牲に言及(2016年1月26日)

2016年1月26日、フィリピン共和国ご訪問にあたり、羽田空港における「出発のおことば」のなかで天皇陛下はマニラ市街戦の市民の犠牲に言及しました。(マニラ市街戦とは?) フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。 During World War II, countless Filipino, American, and Japanese lives were lost in the Philippines. A great many innocent Filipino civilians became casualties of the fierce battles fought in the city of Manila. This history will always be…

天皇皇后両陛下フィリピン訪問

[フィリピン無名戦没者の碑に供花・黙礼する天皇皇后両陛下。2016年1月27日。YouTube/AFP通信社] [カリラヤ比島戦没者の碑に供花・黙礼する天皇皇后両陛下。2016年1月29日。YouTube/AFP通信社] 天皇皇后両陛下が2016年1月26日より5日間、フィリピン共和国を国賓としてご訪問されました。 出発の「おことば」で天皇陛下は「マニラ市街戦」で「膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました」と言及され、 マニラの歓迎晩餐会でも「貴国の国内において日米両国間の熾烈しれつな戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人が決して忘れてはならないこと」だと述べられました。 この訪問が、戦争を知らない世代がフィリピンと日本の過去を知り、将来に向けてより質の高い和解に向かう契機となることを期待しています。 このウェブサイトには日本・フィリピン関係史の関連情報を掲載しておりますのでどうぞご覧下さい。 関連リンク: 宮内庁発表資料 外務省発表資料 アジア・太平洋戦争とフィリピン フィリピン史簡易年表 「追悼の政治」(ウェブ公開版) 和解と忘却(1) 和解と忘却(2)

フィリピン「慰安婦」正義と補償を求めて会見(2016年1月22日)

フィリピン「慰安婦」正義と補償を求めて会見(2016年1月22日)

追悼の政治――戦没者慰霊をめぐる第二次世界大戦後の日比関係史――(Web公開版)

追悼の政治――戦没者慰霊をめぐる第二次世界大戦後の日比関係史――(Web公開版)

天皇皇后両陛下が慰霊に訪れた「比島戦没者の碑」(カリラヤ慰霊碑)建立の経緯をくわしく論じています。 注記:以下は、下記論文の予稿として起草したものですが、内容的には紙幅の都合で下記論文に所収できなかったデータ・内容を含んでおります。2000年前後の状況をふまえて執筆されたものですが、状況にあまり大きな変化は見られません。若干の修文を加えましたので、あらためて2016年1月版として公開します。 「追悼の政治――戦没者慰霊問題をめぐる日本・フィリピン関係――」池端雪浦、リディア・N・ユー・ホセ編『近現代日本・フィリピン関係史』(岩波書店、2004年2月26日、700頁):367-408頁。

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