アーリントン国立墓地とフィリピン(3)ウィリアム・ハワード・タフト
William Howard Taft (1857-1930), Section 30 アーリントン国立墓地とフィリピン・マップ(ゆかりのアメリカ人たちの墓碑を赤いピンで、フィリピーノたちの墓碑を青いピンで表示しています)。 (目次に戻る) 1901年3月、フィリピン独立革命政府指導者のエミリオ・アギナルドが、ルソン島東部イサベラ州のパラナンに潜伏中のところを、フレデリック・ファンストン准将により逮捕されます。米本国でも1901年9月6日、マッキンレー大統領が暗殺され、セオドア・ローズヴェルト副大統領が大統領に昇格するという全米を震撼させる大事件が発生しますが、アギナルドの逮捕・投降(このあとアギナルドは米国への忠誠を誓います)は、各地の革命軍を投降へと向かわせていきます。
アーリントン国立墓地とフィリピン(2)「フィリピン反乱」
Arthur MacArthur (1845-1912) & Henry Lawton (1843-1899), Section 2 アーリントン国立墓地とフィリピン・マップ(ゆかりのアメリカ人たちの墓碑を赤いピンで、フィリピーノたちの墓碑を青いピンで表示しています)。 (目次に戻る) 米比戦争Philippine-American Warとは、1898年の米西戦争Spanish-American Warパリ講和条約によって、これに先立つ1896年からスペインに対する独立革命が始まっていたフィリピンを併合して、米軍史上はじめての大規模な海外遠征軍により独立革命を弾圧・征服した植民地戦争です。アメリカはフィリピン独立革命政府を認めなかったので、今でも米軍戦史におけるこの戦争の公式名称は「フィリピン反乱」Philippine Insurrectionとされています。
アーリントン国立墓地とフィリピン(1)「メイン号のマスト」メモリアルから
アーリントン国立墓地には、フィリピンをめぐる征服戦争と植民地の過去が刻まれています。その広大な墓苑から、歴史を刻んできた幾つかの記念碑・墓標を紹介します。 アーリントン国立墓地とフィリピン・マップ(ゆかりのアメリカ人たちの墓碑を赤いピンで、フィリピーノたちの墓碑を青いピンで表示しています)。(目次に戻る) Mast of USS Maine Memorial, Section 24 & Charles Dwight Sigsbee (1845-1923), Section 2 まず訪れるべきは、無名戦士の墓などがある墓苑の中心部でひときわ目立つ、国旗掲揚台のようにも見える碑です。米西戦争の引き金となったメイン号爆沈事件のメモリアルです。(Arlington and the Filipinos Map)
Arlington National Cemetery Section 60, 2003/2013
「私たちは無数の白亜の墓標が整然と丘陵の芝生を埋める墓苑を10分ほど歩き、広々とした芝生の空き地が広がる60区画にやって来た。ここは最も新しい死者たちのために用意された場所のひとつで、最前列にはアフガニスタン戦争・不朽の自由作戦Operation Enduring Freedomやイラク戦争・イラクの自由作戦Operation Iraqi Freedomの戦没者のための真新しい墓石や、まだ埋葬の直後で、臨時の墓標が無造作に芝生に突き立てられただけの墓が並んでいる」。(中野聡『歴史経験としてのアメリカ帝国─米比関係史の群像』岩波書店、2007年、序章より)。 この光景が10年後にどうなったか?上の写真または下記のURLをクリックしてみてください。 https://goo.gl/photos/mL4ZzgsqkMW25E3K7
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