アーリントン国立墓地とフィリピン(2)「フィリピン反乱」

アーリントン国立墓地とフィリピン(2)「フィリピン反乱」

Arthur MacArthur (1845-1912) & Henry Lawton (1843-1899), Section 2 アーリントン国立墓地とフィリピン・マップ(ゆかりのアメリカ人たちの墓碑を赤いピンで、フィリピーノたちの墓碑を青いピンで表示しています)。 (目次に戻る) 米比戦争Philippine-American Warとは、1898年の米西戦争Spanish-American Warパリ講和条約によって、これに先立つ1896年からスペインに対する独立革命が始まっていたフィリピンを併合して、米軍史上はじめての大規模な海外遠征軍により独立革命を弾圧・征服した植民地戦争です。アメリカはフィリピン独立革命政府を認めなかったので、今でも米軍戦史におけるこの戦争の公式名称は「フィリピン反乱」Philippine Insurrectionとされています。

アーリントン国立墓地とフィリピン(1)「メイン号のマスト」メモリアルから

アーリントン国立墓地とフィリピン(1)「メイン号のマスト」メモリアルから

アーリントン国立墓地には、フィリピンをめぐる征服戦争と植民地の過去が刻まれています。その広大な墓苑から、歴史を刻んできた幾つかの記念碑・墓標を紹介します。 アーリントン国立墓地とフィリピン・マップ(ゆかりのアメリカ人たちの墓碑を赤いピンで、フィリピーノたちの墓碑を青いピンで表示しています)。(目次に戻る) Mast of USS Maine Memorial, Section 24 & Charles Dwight Sigsbee (1845-1923), Section 2 まず訪れるべきは、無名戦士の墓などがある墓苑の中心部でひときわ目立つ、国旗掲揚台のようにも見える碑です。米西戦争の引き金となったメイン号爆沈事件のメモリアルです。(Arlington and the Filipinos Map)

フィリピン最高裁EDCA(米比拡大防衛協力協定)に合憲判断(2016.1.14 TBSラジオ・荻上チキ・セッション22)

SYNODOS 2016.04.06 Wed フィリピンはなぜ米軍を受け入れるのか――安全保障と基地問題を考える 竹田いさみ×中野聡×荻上チキ90年代に完全撤退したアメリカ軍がフィリピンに再び駐留へ。フィリピンはどのように米軍を撤退させ、そして、なぜ今、受け入れるのか? フィリピン最高裁・EDCA合憲判決全文(2016.1.12) http://sc.judiciary.gov.ph/pdf/web/viewer.html?file=%2Fjurisprudence%2F2016%2Fjanuary2016%2F212426.pdf  

Arlington National Cemetery Section 60, 2003/2013

「私たちは無数の白亜の墓標が整然と丘陵の芝生を埋める墓苑を10分ほど歩き、広々とした芝生の空き地が広がる60区画にやって来た。ここは最も新しい死者たちのために用意された場所のひとつで、最前列にはアフガニスタン戦争・不朽の自由作戦Operation Enduring Freedomやイラク戦争・イラクの自由作戦Operation Iraqi Freedomの戦没者のための真新しい墓石や、まだ埋葬の直後で、臨時の墓標が無造作に芝生に突き立てられただけの墓が並んでいる」。(中野聡『歴史経験としてのアメリカ帝国─米比関係史の群像』岩波書店、2007年、序章より)。 この光景が10年後にどうなったか?上の写真または下記のURLをクリックしてみてください。 https://goo.gl/photos/mL4ZzgsqkMW25E3K7

サンフランシスコGLBT博物館

サンフランシスコGLBT博物館

GLBT歴史博物館「私たちクィアの宏大な過去」 歴史学研究会『月報』2011年11月掲載 サンフランシスコGLBT博物館ツァー(Google+アルバム) https://plus.google.com/photos/104944784746777426994/albums/5648870200834444321

Page generated in 0.841 seconds. Stats plugin by www.blog.ca