旧日本軍医フィリピンでの生体解剖の事実を認める

<生体解剖>フィリピンでも 大戦末期 元衛生兵が証言 2006/10/19 毎日新聞 (記事抜粋)第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】 この記事はMainichi Daily Newsを通じて海外にも報道され、フィリピンでもトップニュースになったそうです。来日中の第2次世界大戦史研究の第一人者リカルド・ホセさん(フィリピン大学教授)に教えていただきました。衛生兵の医療実習。日本兵の命を救うための訓練にフィリピン人を犠牲にしたわけです。生体解剖を主導した軍医は戦場で自決したとのこと。加害体験を証言し「語り部」となる決意を語る牧野さんに敬意を表します。

マニラ戦の実像と記憶(1)

      少々事情もあり、マニラ戦(1945年2月-3月)の実像と記憶についてこの場を借りて紹介し、また考えていきたいと思います。 (写真 マニラのイントラムロスにあるメモラーレ・マニラ1945祈念碑)     日本軍の残虐行為と米軍の砲爆撃で、第2次世界大戦において「ワルシャワに次ぐ破壊」と言われるマニラ戦は、日米間で戦われた最大規模の市街戦でした。10万人の犠牲を出したマニラ戦の記憶が風化してゆくことに、往時を知るマニラ市民の多くは釈然としない思いを抱いています。50周年のときに祈念碑を建立した祈念団体メモラーレ・マニラ1945は今でも活動を続けています。今でもマニラの人々はなぜマニラがこのように破壊され、無慈悲な残虐行為が行われたのか、その説明を求め続けています。 Sack of Manila (米バタアン戦ベテランによるマニラ戦残虐行為についてのWeb記事) 米陸軍戦史HP ルソン解放 1944-1945祈念団体メモラーレ・マニラの動き Inquirer 2005/2/13 Remembering Manila 1945 Manila Times 2005/2/6 Philippines Daily Inquirer 関連記事(残虐行為の被害の実態など) Escodas, Vicente Lim beheaded (Feb 12, 2005) Massacre of Agustinians, San Juan de Dios staff (Feb…

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