マイノリティの市民権戦略と記憶の政治

マイノリティの市民権戦略と記憶の政治

公民権運動の時代以後、展開してきたアメリカ合衆国におけるマイノリティの政治は、記憶や歴史認識と深く結びついて展開してきています。まず代表的な3つの集団についてのリンクを紹介しておきます。

1.アフリカ系アメリカ人

1950年代から60年代にかけての公民権運動は、それじたいは、植民地主義や奴隷制に対する謝罪や補償を求めるものではありませんでした。しかし、そこから派生した「歴史の見直し」の動きは、過去に差別/抑圧/虐殺された(民族)集団についての集合的記憶を公的レベルで修正し、保存し、顕彰してゆくパターンの先駆けとなりました。

Roots: TV史上に残る成功をおさめたミニシリーズBlack History Month 普及と批判 アメリカでは毎年2月が黒人史月間となって様々のイベントが行われています。
>Alex Hailey The Roots マイノリティ運動と歴史的記憶が結びつく代表的な事例としてアレックス・ヘイリーの『ルーツ』と、テレビ史上に残る大反響を呼んだそのテレビシリーズをあげることができます。 mini-series The Roots (1977年) http://en.wikipedia.org/wiki/Roots_(TV_miniseries)

>いまアメリカで黒人史月間にもっとも目立つ動きをしているのは全米最大のケーブル映画配給ネットワークのHBOです。毎年、オリジナル作品を製作・放映しています。作品は主として(1)黒人史の回顧、(2)公民権運動史の回顧を扱ってきましたが、最近では南アフリカのHIV問題やルワンダの虐殺問題など、アメリカ合衆国を超えた黒人の過去と現在に目を向けようという動きが注目されます。HBO Black History Month Page http://www.hbo.com/blackhistorymonth/

HBOが制作、アカデミー外国語作品賞候補作になった南アフリカのHIV問題を描いたイエスタデイ(作品紹介ウェッブサイト)とおっても良い映画です。

2.ユダヤ系アメリカ人

Peter Novick, _The Holocaust in American Life_ (Boston: Houghton & Miff lin, 1999) は、(1)アメリカ社会のなかでホロコーストの記憶を強調することを1950年代までユダヤ系アメリカ人コミュニティ自体が避けてきたこと、(2)1960年代のアイヒマン逮捕・裁判(1960-62)や中東6日戦争(1967)でイスラエルがアメリカの主要な同盟国としての位置づけを得たことなどを契機にその姿勢に変化が起こり、(3)1970年代以降、ホロコーストを「アメリカの記憶」=公的記憶に定着させる動きが一気に本格化して、ホロコーストの記憶とイスラエル支持がアメリカのユダヤ系コミュニティの統合シンボルとなって今日に到っていることを指摘していいます。

Holocaust (1978) / TV Mini Series>アイヒマン裁判 http://www.ushmm.org/wlc/article.php?lang=en&ModuleId=10005179
>中東6日戦争 http://en.wikipedia.org/wiki/Six-Day_War
>TVドラマ「ホロコースト」(1978年) http://www.imdb.com/title/tt0077025/ 「ルーツ」の翌年に放映されたこのドラマは、ユダヤの歴史的経験がアメリカ発の映画やTVドラマで繰り返し取りあげられてゆく大きなきっかけとなりました。
>合衆国ホロコースト博物館ウェッブ展示 http://www.ushmm.org/museum/exhibit/online/ この展示からも、ユダヤ系の経験だけでなく、アフリカや旧ユーゴのジェノサイド問題に取り組む姿勢が見て取れます。
>全米ユダヤ系会議 http://www.ajcongress.org/site/PageServer イスラエル支持の頑なな論調をうかがうことができます。

3.日系アメリカ人

日系アメリカ人の場合も、1950年代までは第2次世界大戦における強制収容問題について抗議することなく、おおむね沈黙を守ったが、1960年代に入ると公民権運動の影響のもとNisei世代の大学知識人・コミュニティ運動家と、アイデンティティを希求するSansei世代の青年・学生世代が連帯して、強制収容に対する謝罪と補償を求めるredress運動が芽生え、1970年以降、全米日系人市民連盟JACLの活動方針に組み込まれるようになったと言われています。実際に保障法が成立したのは1988年で、補償事業は1990年から99年にかけて行われました。

>強制収容所問題と補償運動 http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_American_internment *
>過去の講義資料 http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/gensha2003_08.doc

>大八木豪「日系アメリカ人のリドレス運動の生成過程」『アメリカ研究』38(2004)。2世大学知識人の主導に3世の学生運動世代が応じるかたちで補償運動が生成する過程をまとめています。

>TVドラマ 山崎豊子「二つの祖国」原作 NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」(1984)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B2%B3%E7%87%83%E3%82%86_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
TIME Magazine 「山河燃ゆ」への日系アメリカ人社会の抗議 (1984) http://www.time.com/time/printout/0,8816,921684,00.html 日系人の日本人性を強調した山崎作品とその大河ドラマが理ドレス運動のまさに展開していた当時の日系人社会から拒絶と批判を浴びたことは大変に興味深い事件だったと言えます。

Snow Falling on Cedars (1999)日系人強制収容を主題にしたハリウッド映画作品としては公民権運動時代の悲劇を扱った「ミシシッピ・バーニング」も監督しているアラン・パーカー監督の「Come see the Paradise」と、工藤夕貴が主演した「ヒマラヤスギに降る雪」があります。どちらも批評家には評価されましたが、興行成績や知名度という点ではユダヤ系、黒人史ものの作品には遠く及びません。

Come See the Paradise (1990)

4.考察

以上の3パターンは、アメリカにおけるマイノリティ(民族集団)における「記憶の政治」と市民権戦略について、さまざまの問題を提起しています。

(1)合衆国の市民権構造を改造・変革することによってではなく、自己主張と承認を通じて既存の市民権構造のなかでの平等化を希求するという意味での市民権戦略は、本来的に同化主義的要素を内包せざるを得ない(同化の意味するところは時代により変化するとしても)。このような市民権戦略は、民族集団の固有性、集団としての凝集力の維持を希求するエスニック・ナショナリズ
ムとのあいだでしばしば鋭く対立しながら、それ自身の希求する平等や同化の内容自体を変化させてきたと言えます。このような民族集団の政治戦略に内在する二項対立的要素は、「記憶の政治」という場でもっとも鮮明に表現されてきたと言っても良いでしょう。アフリカ系で言えば、キング=NAACP的な同化主義的市民権戦略と黒人革命・自己分離主義・アフリカ回帰論にその対立は鮮明にあらわれているし、日系アメリカ人の間でも、JACL的な市民権戦略が長年のあいだ日系人史における日本人史としての側面を抑圧してきたことに潜在的な二項対立の緊張を読み取ることができるかもしれません。ユダヤ系の場合も、シオニズムと同化主義的市民権戦略は本来は対立的要素を孕んでいたはずですが、アメリカ社会におけるユダヤ系の主流化と合衆国のイスラエル支持政策のもとで、両者は対立するものではなく補完しあうものとなっているのが大きな特徴
と言えるのではないでしょうか。

(2)ふり返れば、市民権戦略/エスニック・ナショナリズムと結びついた「記憶の政治」は強い伝染力をもってきたと言えそうです。AIM(アメリカン・インディアン運動)によるアルカトラス島占拠事件、ウンデッド・ニー占拠事件は公民権運動のメディア戦略に学んだものであると同時に、非暴力運動から武装自衛・自己分離主義へと急進化した黒人革命運動の影響を受けたものでした。アイリス・チャンにおける南京虐殺事件問題研究は、公民権運動が生んだ世代である彼女の中国系アメリカ人としての問題意識に支えられたものでした。影響は現代におけるマイノリティ(非白人)集団にとどまりません。公民権運動は、現代白人社会のあいだでも、そのマイノリティとして
の過去(移民史)や、エスニシティ再興の動きをもたらしている。ユダヤ系がその著しい例ですが、トム・ヘイドンにおけるアイリッシュネスの復興も興味深い例としてあげられます:Tom Hayden, _The Irish on the Inside: In Se arch of the Soul of Irish America_ (NY: Verso, 2001). http://www.amazon.com/Irish-Inside-Search-Soul-America/dp/1859844774

(3)民族集団の市民権戦略にかかわる「記憶の政治」のもうひとつの大きな特徴は、主流化(mainstreaming)との関係です。主流化のひとつの動きは、アメリカの公的記憶のなかにそれぞれの民族集団の固有の記憶を必須のものとして埋め込んで行くこと、すなわちエスニック・メモリーをアメリカン・メモリーにすることです。公教育における必須の主題となっている点で、アフリ
カ系、ユダヤ系、日系は、それに成功した民族集団でしょう。アフリカ系、ユダヤ系は、娯楽も含めたドラマ/番組の主題のなかにアフリカ系やユダヤ系固有の主題を組み込んでゆくという点で映画・TVなどのメディアにおいても主流化に成功してきたと言えます。主流化のもうひとつの動きとして注目されるのは、固有の経験をよりどころにして現在進行形の問題に関与することによって、民族集団固有の経験を普遍化し、神聖化してゆくやり方です。HBO(全米最大のケーブル映画配信会社)がBlack History Monthに向けて制作する作品の多様化(南アフリカのエイズやルワンダ虐殺問題)は、アメリカ黒人における市民権問題を普遍化し、主流化して行こうとするものです。ユダヤ系はホロコーストの記憶保存の延長線上で、ルワンダやダルフール(スーダン)など現在進行形のジェノサイド問題に対する啓発活動を積極的に展開しています。日系は対テロ戦争でアラブ系市民の人権擁護の先頭に立ちました。これらの事例は、それぞれ、固有の被害体験の記憶をよりどころに、同様の境遇におかれた、おかれる危険のある人々を支援すべきだ、あるいは支援できる、支援するノウハウがある、さらには支援する資格がある、という各集団の問題意識を反映しています。そして、かつて被害者であった集団が「支援する側」に立つことが、それぞれが「主流化」に成功したことの証明になるという側面も否定できないのであって、やや皮肉な見方かもしれませんが、それ自体が、アメリカの市民権構造における成功をめざす市民権戦略の一環と捉えることさえできるのはないでしょうか。

Inside Man (2006)ただの娯楽活劇だと思ったら、オチは第2次世界大戦のユダヤの悲劇だったスパイク・リー監督作品の「インサイドマン」。パレスチナの悲劇がこのようなかたちで娯楽作品のなかに「織り込まれる」ことはアメリカではほとんどない。