「東アジア」とアメリカ─広域概念をめぐる闘争─

くわしくは本誌を。一部を紹介します。 ====================================== 「『東アジア』とアメリカ:広域概念をめぐる闘争」『歴史学研究』907号(2013年7月):15-25頁。 ====================================== はじめに 過去半世紀にわたって「東アジア史」を問う方法に含まれてきた「同時代史的認識」(本特集の趣旨文から)──この場合の「同時代史的認識」とは、もちろん、いかなる地域・時代を対象とするにせよ、歴史研究者が先鋭な問題意識をもって同時代と向かい合う姿勢を含意しているに違いない。とはいえ、それは意地悪に言い換えれば「時代に翻弄される」ということでもある。 冷戦後、急速な経済発展と経済的結合・相互依存関係の深化を直接の契機として、北東アジアと東南アジアを包摂する広域概念としての「東アジア」(以下、広域概念の場合は「東アジア」と表記する)が日本社会でさかんに語られ始めた。歴史叙述にも少なからず影響を与えている。そこで本稿では、現代の広域概念としての「東アジア」を──アメリカ(合衆国)の関与という問題をふまえて──どう捉えるかという問題を考えてみたい。

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