荻上チキ・Session22: 天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。  戦時中、日本軍は現地で何をしたのか?(2016年1月27日放送)

  天皇陛下がフィリピン親善訪問への出発の「おことば」で言及した「マニラ市街戦」から、日本とフィリピンの戦争の過去をふりかえる。タイムリーな放送を企画していただいたTBSラジオ・セッション22に深く感謝します。 放送内容のまとめ:SYNODOS (1 March 2016)

メモラーレ・マニラ1945追悼式(2011.2.)参列者に見るマニラ戦体験

メモラーレ・マニラ1945追悼式(2011.2.) 参列者に見るマニラ戦体験

(写真に付した番号を参照してください)。 1.ミグエル・ペレス・ルビオ氏(元・大統領府儀典長):1945年2月12日、家族の全員をルビオ邸にて日本軍に虐殺された(本人はゲリラとして市外で戦闘、難を逃れた)。 2.故フアン・ロチャ(元・スペイン大使):母親が米軍砲撃で破片を受けて死亡、親族11名が日本軍に殺害された。 3.ローデス・モンティノーラ(極東大学総長):2月9日、本人をのぞく家族全員が自宅に乱入した日本兵に殺害された。 4.イサベル・カーロ・ウィルソン(元・スペイン大使):ベイビュー・ホテル事件(多くの女性が監禁・レイプされた)で難を逃れた目撃者。 5.ジェンマ・クルス・アラネタ(1964年ミス・インターナショナル):母カルメン・ゲレロ・ナクピルとマニラ戦を生きのびるが、日本軍憲兵隊に拉致された父・祖父らクルス家 男性全員が殺害された。

De La Salle Massacre (12 February 1945) マニラ市街戦・ラサール学院での虐殺事件(1945年2月12日)

De La Salle Massacre (12 February 1945) マニラ市街戦・ラサール学院での虐殺事件(1945年2月12日)

マニラ市街戦(マニラ戦)において多数発生した日本軍による虐殺事件・戦争犯罪行為のひとつに、都心部タフト通り沿いに現在もあるデ・ラ・サール大学(学院)で発生した虐殺事件があります。この事件を一例にして、マニラ市街戦における日本軍の戦争犯罪の記録がどのように作られ、当時、日本人に伝えられ、そして今日マニラにおいて記憶されているかを示してみましょう。 まずは意外なところから話を始めます。 1949年、長崎の原爆の悲劇を人々に伝える一冊の本が出版されました。長崎医科大学助教授・永井隆博士の随筆集『長崎の鐘』がそれです。「戦後最初のベストセラー」とも言われ、同書に着想したサトウハチロー作詞・古関裕而作曲の歌謡曲『長崎の鐘』は同年大ヒットして、翌年には映画化もされました。

マニラ市街戦──その真実と記憶──(Web版)

マニラ市街戦──その真実と記憶──(Web版)

2016年1月26日、天皇陛下はフィリピン共和国への親善訪問に出発される際の「おことば」で、「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」と述べられました。マニラ市街戦とはなんだったのでしょうか?以下、その概要とマニラ戦をめぐる記憶の問題について、2007年前後に書いたある原稿をもとに、Web公開版を作成しましたのでご覧下さい。

天皇陛下フィリピンへの出発のおことばでマニラ市街戦での「膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民」の犠牲に言及(2016年1月26日)

天皇陛下フィリピンへの出発のおことばでマニラ市街戦での「膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民」の犠牲に言及(2016年1月26日)

2016年1月26日、フィリピン共和国ご訪問にあたり、羽田空港における「出発のおことば」のなかで天皇陛下はマニラ市街戦の市民の犠牲に言及しました。(マニラ市街戦とは?) フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。 During World War II, countless Filipino, American, and Japanese lives were lost in the Philippines. A great many innocent Filipino civilians became casualties of the fierce battles fought in the city of Manila. This history will always be…

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