天皇皇后両陛下が慰霊に訪れた「比島戦没者の碑」(カリラヤ慰霊碑)建立の経緯をくわしく論じています。 注記:以下は、下記論文の予稿として起草したものですが、内容的には紙幅の都合で下記論文に所収できなかったデータ・内容を含んでおります。2000年前後の状況をふまえて執筆されたものですが、状況にあまり大きな変化は見られません。若干の修文を加えましたので、あらためて2016年1月版として公開します。 「追悼の政治――戦没者慰霊問題をめぐる日本・フィリピン関係――」池端雪浦、リディア・N・ユー・ホセ編『近現代日本・フィリピン関係史』(岩波書店、2004年2月26日、700頁):367-408頁。
With the Emperor Akihito and Empress Michiko’s visit to the Philippines scheduled in late this month, let me share a slightly modified version of the paper I presented in March 2006 at the symposium commemorating the 50th anniversary of the…
SYNODOS 2016.04.06 Wed フィリピンはなぜ米軍を受け入れるのか――安全保障と基地問題を考える 竹田いさみ×中野聡×荻上チキ90年代に完全撤退したアメリカ軍がフィリピンに再び駐留へ。フィリピンはどのように米軍を撤退させ、そして、なぜ今、受け入れるのか? フィリピン最高裁・EDCA合憲判決全文(2016.1.12) http://sc.judiciary.gov.ph/pdf/web/viewer.html?file=%2Fjurisprudence%2F2016%2Fjanuary2016%2F212426.pdf
「私たちは無数の白亜の墓標が整然と丘陵の芝生を埋める墓苑を10分ほど歩き、広々とした芝生の空き地が広がる60区画にやって来た。ここは最も新しい死者たちのために用意された場所のひとつで、最前列にはアフガニスタン戦争・不朽の自由作戦Operation Enduring Freedomやイラク戦争・イラクの自由作戦Operation Iraqi Freedomの戦没者のための真新しい墓石や、まだ埋葬の直後で、臨時の墓標が無造作に芝生に突き立てられただけの墓が並んでいる」。(中野聡『歴史経験としてのアメリカ帝国─米比関係史の群像』岩波書店、2007年、序章より)。 この光景が10年後にどうなったか?上の写真または下記のURLをクリックしてみてください。 https://goo.gl/photos/mL4ZzgsqkMW25E3K7
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