ペニンスラ・ホテル騒動で起訴

ペニンスラ・ホテル騒動で「反乱罪」で起訴された人々は下記の通りです。

アロヨ政権打倒運動の経緯

「ペニンスラホテル」騒動で再びフィリピン・アロヨ政権打倒運動と政権側の反政府運動弾圧の攻防劇が注目を集めました。ここでアロヨ政権打倒運動の過去の経緯を整理しておきましょう。 2003年7月27日 300名以上の国軍兵士がマカティ市アヤラ・センターの高級ホテル、オークウッド・プレミエに立てこもり、アロヨ政権の腐敗に抗議。オークウッドの反乱(Oakwood Mutiny)と呼ばれる。首謀者は、Gerardo Gambala陸軍大尉とAntonio Trillanes海軍大尉。事件と裁判を通じてアロヨ政権と軍の不敗を告発したTrillanes大尉はアイドル的な人気を得て、2007年の上院選挙に出馬・当選した。

その時歴史が動いた「引き裂かれた村」(2007/9/5放送)の補足情報

(本番組は、2015年現在、NHK番組アーカイブズ学術利用トライアルの対象番組となっております)。   2007年9月5日(水)にNHK総合で放送された「その時 歴史が動いた」第297回放送「引き裂かれた村~日米戦の舞台・フィリピン~」の番組作りで相談を受け、スタジオゲストとしてお招きに預かりました。いつもの「その時」とはちょっと違ったドキュメンタリー・タッチの内容で、登場人物のラビニャさんも、ロンキリオさんも、いまフィリピンのカブヤオで暮らしている生身の人間です。このような市井の庶民が主人公になった「その時」を作ったNHK大阪の皆さんに私は感銘を受けました。さて、以下は、この番組を観た皆さんへの補足情報です。

米海兵隊員1名に有罪評決 フィリピン スービック自由貿易区強姦事件

2006年12月4日、フィリピン・デイりー・インクワイアラーその他の報道からの抜粋です。 スービック自由貿易区で2005年11月にフィリピン人女性を強姦した罪で起訴されていたダニエル・スミス被告(ミズーリ州セントルイス出身)に、マカティ地裁139合法廷のベンジャミン・ポゾン判事が有罪評決をくだしました。懲役40年の刑が宣告される可能性があります。罰金合計55万ペソ(約125万円)の支払いも命じられました。起訴されていた他の3名(強姦した被告を煽ったと言われている)には証拠不十分の無罪評決がありました。ポゾン判事はスミス被告をアメリカの管轄下ではなくマカティ市刑務所に送るよう命令しました。

フィリピン「反乱罪」追及あいつぐ

フィリピンで2月の政変未遂劇を乗り切ったアロヨ政権による「反乱罪」の追及が厳しさを増しています。「逃亡」していたホナサン元大佐・元上院議員が拘束されました(ホナサン大佐は1986年のピープル・パワー政変劇のきっかけをつくったひとり。国軍改革派のリーダーとしてアキノ政権に対するクーデター未遂を繰り返したことでも追及された過去があります)。 フィリピンの左翼系政治学者として知られるフランシスコ・ネメンゾ博士(前フィリピン大学学長)も「反乱罪」で訴追されました。国軍改革派の若手と懇談したことが、反乱の共謀であるとして告発されたのです。反マルコス運動では最左翼の学者として活躍したネメンゾ博士は、国際基督教大学ICUで教鞭をとり、日本人学生を育てたことでも知られています。近年は共産党・NPAだけでなく国軍改革派の若手将校に国家再生の期待を繋ぐ発言をしていたことでも知られています。このようにラディカルな政治学者がフィリピン大学学長職についたことは、マルコス戒厳令の時代から考えれば隔世の感があり、また、フィリピン市民社会のある種の成熟を示すものとして歓迎されたものです。 いずれにせよ、学者が軍人と懇談しただけで「反乱罪」で告発されるのではたまりません。学問の自由に対しても深刻な恫喝でもあります。憂慮するフィリピン、日本、アメリカの研究者たちが公正な裁判と学問の自由の擁護を訴える請願に署名活動をしています。 ネメンゾ博士自身が「反乱罪」連座についてのステートメントを発表していますので、ここに原文のまま掲載させていただくことにします。

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